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気体という「相」においてはその構成粒子のあいだに特定の位置の相関がなく、固体は粒子同士が規則的に並ぶといった強い位置の相関によって特徴付けられます。液体はその中間程度の位置の相関を持った相であるといえます。このように古典的な物理としても液体は少々微妙な位置にあることにまず注意しましょう。
それでは現代科学がその基礎とする量子力学的な世界観にたって現在の物性科学を考えてみましょう。通常の生活においては量子力学によらず、 ニュートン以来の古典力学が十分正確であることに疑いはありません。これは十分高温(室温は物性論的には通常十分高温です)であれば量子論は古典論に帰着 することによります。水蒸気が氷になるように、量子的な系でも一般的な物質は高温では秩序を持たない対称性の高い相をとり、温度を下げていくに従って自発 的に対称性が破れた低温の秩序相へ相転移するのが基本的な振る舞いです。よく知られた例としては(量子的な)磁性体が高温での非磁性状態から低温の磁性状 態へ転移する磁気転移があります。また量子系固有の現象として特に有名な超伝導転移もその相転移としての性質は基本的にはここで議論した局所的な秩序変数 を用いた通常の対称性の破れとしてされます。ただし超伝導の場合の対称性のれははゲージ対称性の破れと呼ばれる極めて特徴的なものではあるのですが、ここ ではあまり強調しません)。通常の量子系は高温で対称性の高い相をとり低温で対称性が低い相へ転移するのが一般的なシナリオで、その転移は自発的対称性の 破れの概念により局所的秩序変数を用いた秩序形成の物理として一般的に理解されます。
ところが最近その秩序形成がきわめて起こりにくい系がいろい ろな意味で興味を集めています。量子系においては古典的な系における熱揺らぎだけでなく量子系固有の量子揺らぎが存在します。標語的にいえばハイゼンベル グの不確定性に対応する物理量の不確定性起因の揺らぎが存在すると考えればよいでしょう。特に1次元、2次元系といった低次元系においてはその低次元性と 量子性があいまって通常の秩序形成が大きく妨げられることがしばしば起こります。その典型例が分数量子ホール系におけるラフリン状態とよばれる多粒子状態 です。電子は電荷を持っていますのでその間にはクーロン斥力が働きます。よって電子集団を考えたときの振る舞いは電子の運動エネルギーとクーロン斥力の関 係により定まることとなります。簡単な考察から電子密度が高いと運動エネルギーがクーロン斥力より主な寄与をすることがわかり、実際に高密度の極限では電 子系は電子ガスとよばれる気体の相をとります。また電子密度が小さいときは運動エネルギーよりもクーロン斥力が主な寄与をあたえ、電子系はウィグナー結晶 とよばれる固体の相をとることが知られています。これらの特徴的な極限の密度以外の中間的な電子密度では複雑な相が現れる可能性があることは容易に想像で きるでしょう。
実際、電子を2次元の平面に閉じこめさらに磁場をかけたときには、この中間の電子密度においてさらにある特定の電子密度において は固体のような長距離の秩序は持たないが気体としての完全な一様性ももたず、近距離の密度密度相関のみを持つ「液体」状態が現れることが知られています。 これがラフリン状態とよばれるもので、標語的にはウィグナー結晶(固体)が量子効果で融解した「量子液体」であるということができます。この系は液体とい う少々わかりにくい微妙な相である一方具体的な波動関数が書き下されているため、多くの研究がなされこの系から非常に多くのそして驚くべきことを現代の物 性科学者は学びました。
たとえば電子は電荷eを持つフェルミ粒子なのですが、この分数量子ホール系において活躍する粒子(準粒子)はe/奇数と いった半端な電荷をもちさらにはその統計さえもフェルミ粒子とボーズ粒子の中間のものであるというのです。(この統計はFermionとBosonの中間 という意味でAnyonと呼ばれます)このようにラフリン状態は極めて特異で興味深い系であることはわかったのですが、その「相」としての特徴は「量子液 体」として固体でも液体でもないというどっちつかずの理解にとどまらざるを得なかったのです。
このような量子液体状態は例外的なのでしょうか?
振りかえってこの10年、20年の物性科学をふりかえると例外どころか、実は量子液体こそが物性科学の興味の中心であったとすらいえます。微妙によくわか らないものにこそ多くのミステリーが潜み、そして多くの知的興味をひいてきたのです。その典型例が高温超伝導体におけるいわゆるRVB状態です。これは和 訳すれば「共鳴結合ボンド状態」でしょうか。2次元反強磁性の秩序を持ったスピン系は強制的にホールをドープすることにより磁気秩序相としての固体が融解 して特異な「量子液体状態」をつくると考えられたのです。実際の高温超伝導体におけるこの状態の実現可能性に関しては百花総攬、人々によって意見が全く異 なり、軽々に結論はでないのですが、理論的にはその量子液体状態としての意義の大きさは明らかです。また古い問題でありかつまた最近興味が再燃しつつある フラストレートした磁性体の問題においても量子液体状態としての量子状態が重要であることは間違いありません。
近年の物性科学の進歩により、必ずしも対称性の破れを伴わないが極めて特徴的な物質相が存在することが明らかとなりました。歴史的にみて、その典 型例が量子ホール効果における種々の物質相です。2次元的に閉じこめられたお互いに斥力相互作用しあう電子群が磁場下に置かれたとき電子密度および磁場の 強度をいろいろと変化させると驚くほど多様な物質相が現れることが知られるに至りました。ところがその多くの物質相の間で古来用いられてきた局所的な秩序 変数により記述されるような対称性の違い、区別はその多くの場合全くなく、対称性的には同一の物質相として考えざるをえないのですが、明らかに一連の物質 相の性質は特徴的に異なり同一とはどうしてもいいがたいのです。そこで考えられたのがトポロジカル秩序といわれる新しい概念です。
トポロジカル 秩序とは局所秩序変数が局所場の場の理論にその起源をもつのに対応してWittenによるトポロジカルな場の理論において使われたいくつかの概念との類似 性を元にMITのX.-G.Wenにより初期の提案がなされたものです。たとえば、状態の縮退度が物理系の大域的な構造どのように依存するか等を相の特定 に使おうというわけです。近年私はよい広く、量子系固有の幾何学的位相を用いてトポロジカル秩序の概念を拡張し有効に利用する具体的手法を提案しいくつか の具体的試みを行っています。
振り返ってこの20年来の物性物理を考えるといくつもの新規な物質相が発見されてきましたが、真に興味深いのは、いわば未だによくわからない量子液体相であると考えられます。これら量子液体相においてこそ、幾何学的位相をもちいて拡張された新しい秩序概念としてのトポ ロジカル秩序が極めて有用なものとなると考えられるのです。これについては節を変えてまたご説明したいと思います。
量子液体はその名前にもあるように本質的に量子効果をその基盤とするものです。そう考えると幾何学的位相が量子系の本質的側面を記述していると見なしたと き、幾何学的位相により量子液体相を記述、特徴付けようとするのは極めて自然であるとすらいえます。量子的状態とは近年量子計算等の研究の進展で広く知ら れるに至りましたがその局所摂動に対する応答ですら局所的ではなく系全体に及びます。よって量子的波動関数を作業対象とする幾何学的位相を用いた相分類、 特徴付けを考えることは局所場の理論に基づく局所秩序変数に基づくこれまでの相分類、相転移理論とは本質的に異なるものとなります。
すこし細か くなりますが、幾何学的位相を用いた量子液体の特徴付けに関する私の研究をすこし紹介しましょう。量子液体では通常の秩序変数が使えないわけと何度もいい ましたが、では何を作業変数として物理をやればよいのでしょうか? 私は、この問いに対する答えとしてその作業変数として幾何学的位相を用いた「トポロジ カルな量」を用いることを提案し具体的なスキームを具体例とともに提示しています。ここで物理量といわず「量」といったのは通常の古典的対応物の存在する 物理量はエルミート演算子に対応するわけですが、ここでの「トポロジカルな量」は演算子としての対応物を持たないからです。この理論では、エルミート演算 子ではなく、ベリー位相の議論の際に用いられたベクトルポテンシャルを一般化したベリー接続と呼ばれるものを基本的作業変数として議論を進めます。その 際、系の特徴付けを行うためには密度、磁化、等の様な連続量を使うこともできますが、ここでの理論では「量子化」された「トポロジカルな量」を構成するこ とを目指します。量子化された量をもちいれば相の分類が明確であることは明らかでしょう。これを用いると古典的秩序変数とは異なるトポロジカルな秩序変数 を構成することもできるのです。量子液体相では本質的な局所的な秩序変数は存在しないと繰り返してきましたがこの古典的対応物を持たない量を用いることで 量子液体相に対するトポロジカルな局所的秩序変数を構成することができるのです。最近その一般論をつくるとともに重要ないくつかの例であるフラストレート したスピン系、2量体(ダイマー)化した電子系に関して具体的な適用結果を示しました。
量子ホール効果とは文字どおりホール伝導度(注)が量子化される現象でその実験的発見に対してK.V.Klitzingにノーベル賞が、分数量子ホール効果に関連する分数励起の理論的、実験的発見に対して、Laughlin-Stormer-Tsuiらに対して2つ目のノーベル賞があたえられています。驚くべきはその精度でそれが6桁以上の精度をもつというのです。
伝導度ですから電流/電圧なわけで電流と電圧をはかって
34.51231 / 17.25616=1.999999...、
67.88631 / 22.62876=3.000001
となったら 「これは普通でない何かがある」、というわけです。こんな風に整数の値にホール伝導度が極めて近くなる現象を 整数量子ホール効果といい、ある場合には、この値が
14.512 / 43.535 = 0.3333 .等
と 1/ 奇数 に極めて近くなるときを分数量子ホール効果といいます。この現象の特異なところは、結果がとてもきれいな数になるので一見して何かの物理量を摂動論とか ○×近似で計算するという 定量的なだけの議論では 不十分なことにあります。つまりこの現象は、何らかの形で整数がらみの理論がその裏にあることを 示唆していると考えるのが自然でしょう。 実際、量子ホール効果とは系の細部に依存しない 境界が何個あるか、どんな風につながってるかといった物理系の位相的性質 にのみ依存した形で理論としてきれいにまとまり、それが ある意味で現実にも実験として観測にかかっているある意味で極めてラッキーな現象なのです。
(注)ホール伝導度:ある物理系に垂直に磁場 をかけ、さらに電流をその磁場に対して垂直にかけたとき、磁場と電流の両方に垂直な方向に発生する電圧を観測したとき電流/電圧の値をホール伝導度といい ます。古典的にはローレンツ力で説明できそうですが、その量子化については古典論では説明できません。量子力学的考察が必須なのです。
系がスピン1/2を持つとき、時間反転操作は複素共役をとるのみではすまず、スピン成分に関してある種の変換を要求します。これによって系の粒子数が奇数であれば全ての固有状態がクラマース縮退と呼ばれる本質的かつ追加の縮退度をもつことになります。ただし、全粒子数は保存するとしました。一般に量子系の記述には複素数がもちいられますが、このクラマース縮退を含む時、系の記述には四元数とよばれる新しい数が本質的な役割を果たすことがF. Dyson以来の研究で明らかとなりました(最近私もこの系のベリー接続に関して論文を書きました:参考文献)。量子ホール効果は系の時間反転を破ったときのトポロジカル秩序相の典型ですが、スピンを持ち込むことで時間反転対称なままでも類似のトポロジカル絶縁相が存在することがあきらかとなってきました。これが量子スピンホール相です。
[1]Y. Hatsugai, "Symmetry protected Z2-quantization and quaternionic Berry connection with Kramers degeneracy" [arXiv:9090.4831]